当神社では広報活動の一環として、年2回発行の社報
「金刀比羅」のほかに、毎月9・10日の月参りの日に
合わせ月報を発行、御参拝いただいた皆様にお頒ちして
おります。
ダイジェストではその一部をWebマガジンとして紹介
していきます。
平成27年9月10日発行 9月号より
物事の両面を対比する思考
長月(9月)を迎え、深夜の月が明るく輝いているのが眩しいくらいとても綺麗です。
今年は9月27日が十五夜となっていますので更に秋も深まり、月も次第により大きく美しく見えるようになることでしょう。
十五夜の月はぽっかり浮かぶ静かな月。光もかなり抑えられ、古くからお月見を楽しむ風習が有る事が伺えますが、今年はたまたま日曜日に当る為、お揃いで是非夜空を見上げて団欒の時をお持ちになって頂きたいと思います。
伊勢の神宮の傍近くに別宮月讀宮が御鎮座されていますが、ここに祀られている神様は、天照大御神の弟神である月讀尊(つきよみ・つくよみのみこと)です。
夜を統括する神様であると謂われます。日の神様が女神様で有るのに対し、こちらは男神様でございます。やや不思議に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、明に対して暗の面を守護して下さる、雄々しい神様のようにも思えます。
稔りの秋を迎え昼の日照も大切ですが、夜の平穏も大切になっていると思います。私も祝詞では「夜(よ)の守り昼(ひ)の守りにお護り下さい」と云う事を奏上し、大神様に終日の御加護を祈願しております。
日本では古くより相対する事を並べてあちらこちらそつなく思考してゆく事が身に付いておるが故、自然のあらゆる現象を司る神様が坐すとされ、祈りの信仰が培われていると考えられております。
皆様も物ごとの一面のみを見るのではなく、表裏一体とも申しますように、陰に隠れているもの、或いは目に見えるもの、目に見えないものなどと、対比させながら思考して頂ければよろしいと存じます。
「万葉集」の中に
月讀の光は清くてらせれど惑へるこころ思ひあへなくに
と詠まれておりますのは月の光が清らに照らしてくれるが、自分の心が決められない(定まらない)という事でしょうか。
私もこの和歌のように万端思案を巡らせ、あれやこれやつい寝不足に陥るほどですが、これからその様な時は、月を見上げて手を合わせると良いかも知れませんね。新たな思考が生まれる事でしょう。
そう言えば、当社のホームページで秋の虫の鳴き声などを録音して載せていますので、秋の夜長の思案の時や、反面眠れぬ時には是非聞いてみて下さい。
先月は、研究や里帰り、或いはスポーツ少年団で当社を訪れるお子達にお目にかかり、楽しい元気な姿に触れる事が出来、当方でも喜んでおります。それぞれに良い子どもたちだと拝察しました
ところで明治生まれの歌人として知られる斉藤茂吉の息子である斉藤茂太は人の心に沁み込む良い言葉を多く残している為、最近私も読みふけっております中に
人生に失敗がないと、人生を失敗する。
という一文があり、経験していないと分らないと言う事を考えると、先の言葉はそうですよねという事になります。
人は特に身内となると、すぐに「わが身に変えても!」とかばってあげたい気持ちを抱きますが、当の本人はそれではいつまでもわからない状態のままであると言えます。
未来に生きる子たちには、色んな経験をしていただき、力強く生きる力を養って頂きたいと思っております。
少子化に依り、親子密着となりがちですが、目上の引立てや社会でのコミュニケーション能力の向上が本人の力となります。斉藤茂太の言う失敗とはコミュニケーションを基とする社会力でもあると思っています。
平成27年8月10日発行 8月号より
今年は終戦七十年という年で玉音放送の全文や御前会議に使用された皇居内の防空壕が公表されたり、戦争の悲惨さを次代に伝えようと言う活動が活発に取りあげられており、それぞれに戦争について考える機会になっている事と存じます。
当社の先々代宮司の高原正作は初代靖国神社権宮司を拝命し、戦時中軍人達と向き合い、退職した後も終生慰霊の祈りを捧げた人でした。
私達も受け継ぐ者として巫女の頃より父に連れられ各地で戦没者慰霊祭を御奉仕しており、今年は禰宜さんと御奉仕して来ました。
また、当社でも終戦の日に併せ祖霊社にて慰霊祭を斎行いたします。
純真な若者達が散華し、何も分らないまま命を獲られた人達の本当の心は推し量る事は出来ませんが、心を静かにして斎行することは聖なる使命と心得ております。
非力で空しい思いも抱きますが、日本人として、当然の事として平和に対する祈りは続けなければいけないと思っております。
また東京に出張すると必ず最初に何をおいても靖国神社を参拝するようこころがけております。
平成27年6月10日発行 6月号より
毎年七月の「こんぴら祭り」に差し上げる団扇の文句を「勇気百倍」にしようと考えておりました時、つい脱線して大好きな明治維新についてのめり込み禰宜さんに注意された次第です。
母親が生まれる前の晩に龍が天を飛ぶ夢を見た事に因んで龍馬と名付けられたという坂本龍馬については学生の頃から関心も一倍有るところでありますのでお許し頂きたいと思う次第です。
坂本龍馬は「おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ」という言葉が遺されており、私も、いつもかくあらねばと思うものです。
反面、いつも言い訳と用いる言葉も収集されており「疲れちょるとどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と勇気がわく」という言葉があり「分ります」といつも思います。
龍馬が擬定した新政府職制案の中に竜馬の名が無く「自分は世界の海援隊をやります」と言い残した逸話を知った時、何と果てなき夢を追う人かと、とても素敵な破天荒さんに思えました
しかし、先述の次の策を常に考えている人なんだと分り、私も微細な事ながら、そのように務めて今でも「次の事 次の事」と考えるようになり、歴史上の人物から勉強させられる有難さを改めて感じております。
時折歴史の紐を解く事は大切ですね。歴史の中に尽きせぬ教えが含まれます。